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2008-01

第4回京都検定 結果発表

昨日、自宅に京都商工会議所から手紙が届いていました。
先月受験した「京都検定」の結果連絡です。
自己採点の段階で、すでに合格ライン(150点満点中120点以上)に届いていないことが判明していたので、特にドキドキすることもなく開封してみると、中身は案の定、不合格通知でした。
準備不足のまま受験しましたので、これは当然の結果であり、特段の感想はないのですが、唯一の救いは、論文問題(30点)で24点が取れていたことかな。
1級の論文問題については、必ず入れなければいけないキーワード(5つ)が漢字で書けて、それを文章としてまとめることができれば、ちゃんと点数を取れることが今回の試験結果で判明したので、とにかく「書く訓練」が重要なんだと再認識できました。

京都十六社朱印めぐり(9) 粟田神社

「十六社朱印めぐり」も中間点を過ぎ、後半戦へと突入してまいりました。
さて、ここまで超ハイペースで移動しているように思えるかもしれませんが、決して訪問社数を稼ぐために、無理に急いで移動しているわけではありません。
各神社では、まず最初に手水舎で手と口を清め、本殿では「二礼二拍手一礼」による参拝をし、境内を散策した後に、最後に社務所で御朱印をいだたいています。
今宮神社では、寄り道をして「あぶり餅」を食べてのんびりしましたし、字面で感じるほどのせわしなさはないんです。
熊野若王子神社から粟田神社への移動には、「東天王町」のバス停から100系統(洛バス)を使って「神宮道」へ行こうと考えていたのですが、「ポケロケ」で運行状況を確認したところ、バスが近くに来ている気配がまったくありませんでした。
そこで、5系統(岩倉~京都駅前)の接近状況を見てみると、すぐに来ることになっていたので、「南禅寺・永観堂道」バス停へ向かうと、待ち時間ゼロでバスに乗ることができました。
粟田神社は、京の七口の一つ「粟田口」にあります。
京の七口とは、京(みやこ)へつながる街道の出入口を総称していて、先日紹介した御霊神社がある「鞍馬口」も京の七口の一つです(鞍馬街道)。
ちなみに「粟田口」は東海道と中山道の出入口という交通の要所だったことから、粟田神社はここから東へ旅立つ人々の信仰を集め、「旅立ち守護(旅行安全)厄除」の神様として知られるようになったのだそうです。
【交通案内】
・市バス「神宮道」下車 徒歩3分
・地下鉄東西線「東山駅」下車 徒歩6分

また、毎年10月に行われる粟田祭では、神幸祭のときに祇園祭の山鉾の原形といわれている「剣鉾」の巡行が行われます。
この神幸祭は、一昨年の体育の日に実際に見てきました(我ながら、ホントにいろんな所へ行ってるなぁ…)。
神幸祭では御神輿も出るのですが、この御神輿は青蓮院(天台宗三門跡の一つ)の中に入っていくんです。
お寺の中に神輿が入っていく様子を初めて見たので、なんだか不思議な感じがしました。

京都十六社朱印めぐり(8) 熊野若王子神社

熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)と読みます。
ここへ来る前に「熊野神社」へ参拝してきましたが、「京都十六社朱印めぐり」では、ほかに「新熊野神社」という神社も参拝することになっています。
「熊野」と名がつく神社が三社ありますので、これらを総称して「京都三熊野」と呼ばれています。
平安時代後期、院政を敷いていた上皇がこぞって紀州熊野へ参詣(熊野御幸)をしたことから、日本中に熊野信仰が広まったのだそうです。
当時の京都人も、こぞって熊野を訪れたいと考えていたと思いますが、誰もが簡単に「熊野詣」に行けるわけではなかったので、「京都三熊野」と称して、熊野三山(本宮、新宮、那智)への参詣に代えていたのではないかと思います。
(これは私の想像なので、もし違っていたらご指摘ください)
さて、熊野若王子神社は、銀閣寺からつづく「哲学の道」の南側の終点にあります。
もともとは、紅葉で有名な永観堂(禅林寺)創建の時の鎮守社として祀られたのが由来といわれているのだそうです。
この日(1月4日)は、三が日明けの金曜日にも関わらず、哲学の道は多くの観光客でごった返していました。
彼らの目的は「大豊神社の狛ネズミ」だったようで、正月三が日は長蛇の大行列になっていたらしいです。
マスメディアの影響というのは、やっぱりすごいんですね。
来年は丑年なので、あちこちの「天神様」に観光客が殺到するのでしょうか…?
【観光案内】
・市バス「南禅寺・永観堂道」下車 徒歩8分
・市バス「東天王町」下車 徒歩9分
・市バス「宮ノ前町」下車 徒歩6分

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