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The 1st Trip for Kyoto in 2006 (2)-2

京都旅行2日目のつづき
「明智風呂」をあとにして特別公開中の三寺院に向かう。
三寺院の位置関係は下図のような感じだ。
       北門  ×バス停
 -----+ +-----
      | |
      | |★隣華院
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      | |
  春光院★| |
      | |★大通院
      | |
       ↓
       方丈
大通院と春光院のどちらに入ろうか
大雨の中うろちょろしていたが、
春光院のほうが人が少なそうだったので
まずそちらから。
 「妙心寺春光院」
 天正18年(1590)に豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴が
 長子金助忠氏の菩提を弔うため建立した堀尾家の菩提寺である。
 方丈には、京狩野派として活躍した江戸後期の絵師
 狩野永岳の筆による室中の間「月と雁図」、東ノ間「琴棋書画図」、
 西ノ間「花鳥図」などが色鮮やかに描かれている。
 方丈前庭は、慶応3年(1867)に作庭されたもので
 「さざれ石の庭」と呼ばれ、伊勢両宮を抽象的に構成し、
 寺院の庭に神道式の庭という非常に珍しい枯山水庭園で
 西庭は「常盤の庭」と呼ばれ、雪見灯籠を配した鶴亀の庭となっており
 亀島あたりに桃山期当時の面影をとどめている。
 方丈東にある1577年(天正5年)の年号を鋳込んだ南蛮寺の鐘(重文)は
 もと京都四条にあったとされる南蛮寺の銅鐘で
 初期キリスト教伝来の貴重な遺産とされる。
 (京都市観光協会ホームページより)
普段は非公開の寺院なので
観光客用のパンフレットがはじめから用意されていない。
また写真撮影ができないため
私の乏しい語彙力ではその魅力を
うまくお伝えすることがひじょ~にむずかしいのだが
仏教寺院でありながら神道式の庭園を持ち
キリスト教(イエズス会)の鐘があるというのは
異なる3つの宗教が一つの寺院で共存している
稀有な例として非常に興味深かかった。
あと、ここでは学生アルバイトが観光ガイドを行っていた。
妙心寺ということでみんな花園大学の学生なのかな。
続いて拝観したのが、春光院の向かいにある大通院。
 「妙心寺大通院」
 天正14年(1586)美濃の国土岐氏の家臣である一柳直末が
 南化玄興を開山として創建し、山内一豊の庶子湘南和尚が
 南北に嗣ぎ住持となる。以来山内家の菩提寺となった。
 山内一豊は信長・秀吉・家康と三代に仕え権力闘争を乗り切った
 戦国武将として知られる。関ケ原の戦いでは徳川方についたことで
 土佐一国を授かり初代土佐藩主となった。
 天正9年(1581)2月、信長が内裏の馬場で馬揃えを催した際
 一豊の妻千代が里から持参した黄金十両を鏡の底から取り出し
 その資金を充てて買った名馬が主君信長の目にとまり
 出世の糸口をつかんだというエピソードは
 内助の功で夫を支えた賢夫人の物語としてあまりにも有名である。
 境内にある山内一豊夫妻の御廟には、向かって左手に妻千代(見性院)
 右手に山内一豊(大通院)の卵塔の墓石があり
 また、肖像画「山内一豊画像」と「妻千代画像」も祀られている。
 (京都市観光協会ホームページより)
NHK大河ドラマ「功名が辻」に出演中の
仲間由紀恵(千代役)と上川隆也(山内一豊役)が
ドラマ撮影前に大通院を訪問したようで、
二人の墓前に手を合わせている写真があった。
大通院では学生アルバイトではなく
「京都SKY観光ガイド」の方が観光案内をしていたのだが
どうやら私が案内していただいたのは
午前中にKBS京都の中継に出ていた方らしい。
(確認はしなかったが、声の感じから間違いないと思う)
それがどうしたって? いや、別に…
2日目の模様はまだつづきま~す

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